新しい記事のなかでゲームとゲームに費やす時間についてまとめていたのですが、
自然に岩田社長についての想いを書き綴っていました。
今日は月命日だったのですね。
導かれるように文章が出てきたので、このまま此処に残しておこうと思います。
岩田社長の訃報に触れてから
私のなかにある、とあるスイッチがオンになった感触がありました。
目の前に広がっている景色が劇的に変化したわけではありませんが
色んなものの感じ方や考え方が変質したようです。
自分のなかでいままで誤魔化してきていた部分がハッキリした、
と言った方が的確かもしれません。
岩田社長の早すぎる死を前にして、
人生の長さや時間の価値について再考せざるを得なくなりました。
岩田社長は55歳でなくなられたから悲運だった、とは絶対に考えまいと心に決めています。
岩田社長の人生はひとつしかありませんし、あとから修正することはできません。
他人である私がそのことについて悲劇的だ、残念だ、と嘆きすぎるのは
自分勝手であると感じました。
そして、どのタイミングでエンドマークを迎えることになったかで
価値を断じるのは無礼なのだということにも気がつきました。
早すぎる別れに寂しさ、いまだに信じられないという想いがつきまといますが、
岩田社長の人生の意味がそのことによって減じられることのないように、と願っています。
世間でどんなにくだらないと評されているような作品でも趣味でも、
それを心から楽しんでいる瞬間は尊いんですね。
今なら岩田社長がときたま、
株主総会で言わんとしていたことの断片が理解できる気がします。
何に熱中しているかよりも、どれだけ熱中しているのか……
自分の存在があやふやになってしまうほど熱中している瞬間はかけがえのないものです。
いま費やしている時間は無駄なものだ、
もっと建設的なことに時間を使わなければ、と
論理的に自分を縛り付けてしまっては出会えない“何か”がそこにはあるんです。
世間の常識にあてはめたら、私はテレビゲームに貴重な時間を費やしてしまっている
愚かな趣味人のように見えることでしょう。
それでも任天堂や岩田社長に出会えて良かったと、心から感謝している自分がいます。
どうして私はこんなに任天堂のゲームに惹かれ、熱中してきたのか。
そんな理屈っぽい考え方は、不要なんですよ、きっと。
ただ心の琴線にふれるものを見つけたら、心のなかに大事に蓄えておいて
前向きに生きていくためのエネルギーに変えていければいい。
何に励まされるかはそこまで重要ではないんです、
どれだけ励まされたか、どれだけのものが心に残ったかが重要なんですよ。
遅まきながら、ようやくそのことに気がつくことができました。
これから先、偏見や先入観をもたずに
色んなものとの出会いや触れ合いを大事にしていけたら、と考えています。
最後に、2014年のE3プレゼンテーションで語られた、
ニンテンドーオブアメリカ社長レジーの言葉をふたたび引用して締めようと思います。
日本の本社に行って開発中の新しいゲームに触れるたびに、私は自分が人生で最初に恋に落ちたゲームのことを思い出します。
それはスーパーファミコンの『スーパーマリオワールド』です。延々と遊びましたしマリオを99鯛残してクリアもしました。私はその『スーパーマリオワールド』のカセットをいまだに持ち続けています。
みなさんも初めて恋に落ちたゲームのことをいまも覚えていらっしゃると思います。
ゲームをプレイする我々はみんな知っています。ゲームの楽しさはゲームでしか味わえないことを。
そして、任天堂ファンのみなさんは知っています。人生でどんなことが起きても、きっとゲームが私たちに楽しくてわくわくするプレイ体験を届けてくれることを。
なぜなら、それが任天堂だからです。
では、そういったゲームを作るということはどのようなことなのでしょう?
答えはこのあと開発チームから直接お伝えします。彼らはいくつかの新しいプロジェクトに取り組んでいます。
これらのプロジェクトで大切にされているのは、任天堂プラットフォームでゲームをプレイするのは今こそが最高の時だと思っていただけるようにすることです。
任天堂のゲームクリエイターたちはみんなひとつの信念を共有しています。それは・・・「ちょっとした楽しみを持つことは決して悪いことじゃないよね」という信念です。